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纯粹日本语的“豆知识”

「はい」と「ええ」

 「はい」は人から名前を呼ばれたりしたときの返事にも、同意や承託を表す相づちにも使えます。しかし、「ええ」は同意や承託を表す相づちで、名前を呼ばれたりしたときの返事にはつかえません。

先生 :出席を とります。李君。

李  :はい(×ええ)。

隣の人:いい天気ですね。

李  :はい/ええ。

 同意や承託を表す「はい」は会社の上司とか先生とか年上の人とか、遠慮のいる人とのフォーマルな会話で使います。一方、「ええ」は友だちや親しい人とのフレンドリーな会話で使われます。なお、個人的にもとても親しくなった場合は目上の人にも「ええ」を使うことがありますが、日本の生活に慣れるまでは使わない方がいいでしょう。 

 

「さようなら」という言葉

 「さようなら」は、毎日顔を会わしている人にはあまり使わない言葉です。それは「さようなら」には長い別れの語感があるからでしょう。

会社やアルバイト先の場合、上司には「お先に失礼します」、同僚には「お先に」が一番よく使われます。学校の場合、先生には「それでは失礼します」が普通ですが、親しくなれば「じゃ、先生、お先に」でも「じゃ、先生、バイバイ」でもかまいません。同級生や友だちには「バイバイ」か「じゃあね」「じゃ、あした」がいいですね。 

 

「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」という挨拶

 「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」は人と顔を合わせたときの代表的な挨拶言葉なのですが、「おはよう」という挨拶は家族の中でも使いますが、「こんにちは」と「こんばんは」は家族の中では使いません。この「こんにちは」と「こんばんは」は他人に使う挨拶です。また、町で偶然会社の上司や同僚と顔を合わせたときは「こんにちは」と言っていいのですが、会社の中では上司や同僚と昼間に顔を合わせても「こんにちは」とは言いません。親しくなれば「いやあ、○○さん」とか、男性だと「よう!」などと声をかけます。上司だったら黙って会釈すればいいでしょう。「こんにちは」は他人行儀な挨拶なので、ちょっと、使い方に気をつけてくださいね。

さて、みなさんを驚かせるのは「おはようございます」です。職業の中には夜の仕事があります。そのような職業の人は、夕方や夜でも職場で顔を合わせると、「おはようございます」と挨拶をします。「こんばんは」とは言いません。ですから、「おはようございます」を朝の挨拶と覚えていると、驚いてしまうのですが、その日の活動の始まりを表す挨拶と言った方が正確でしょう。

 

「いつ」の使い方

 この「いつ」は「何時/何日/何曜日」のように時を限定しないで、未定・未知の時を漠然と表すときに使います。例えば、「図書館の休館日は/誕生日は<いつ>ですか」「<いつ>から夏休みですか?」「次の会議は<いつ>にしますか」のように使われます。 会話で注意するのは、「いつ」は「今は<何時>ですか→×今は<いつ>ですか」とか「今日は<何日/何曜日>ですか→×今日は<いつ>ですか」のように、<今>を問題にしたり、未定未知でない場合は置き換えられないことです。

 

 「もう」と「まだ」

 「もう」は現地点で既に完了している事態を表し、「まだ」は現地点で未完了の事態を表します。動作を表す動詞の場合は「もうました」「まだません」と覚えればいいでしょう。なお、まだ動詞の「ている形」を勉強していませんが、「ている」は眼前<今、現在>の動作や状態を表すので、既に事態が発生していれば「もうています」、発生していなければ「まだていません」の形も現れます。

 彼は もう 来ました。 彼は まだ 来ません。

 もう 終わりました。  まだ 終わりません。

 問題なのは、以下のような例です。これは話者の頭の中での判断で、何かをするための基準時間から考えて、もう実現不可能だと思えば「もうません」、まだ実現可能だと思えば「まだます」が使われます。

 もう 間に合いません。    まだ 間に合います。

 もう 時間が ありません。  まだ 時間が あります。 

 

推量の「でしょう」「かもしれません」

 「〜でしょう←〜だろう<可能性8090%>」「〜かもしれません←〜かもしれない<可能性5060%>」は同じ普通形接続ですが、注意して欲しいのは、名詞とナ形容詞には「ーだ」を取って接続します。これ以外にも「はずです←はずだ<可能性9599%>」などがありますが、後編で述べましょう。当面、この二つの推量表現が使えれば充分です。

 書く                 高い       

 書かない   + でしょう      高くない   + でしょう

 書いた      かもしれません   高かった     かもしれません

 書かなかった             高くなかった

 雨/元気[だ]        

 雨/元気ではない + でしょう

 雨/元気だった    かもしれません

 雨/元気だった 

 

名詞句<連体修飾句>を作る「の」「こと」

 まず例文を挙げましょう。以下のように日本語の格助詞(「が/を/に/で/と…」)の前は名詞ですから、「の」か「こと」をつけて名詞句にしなければなりません。

 彼が走って来る の(×こと)が見えました。

 バスが来る の(×こと)を待ちましょう。

 宿題があった の(⇔こと)を思い出しました。

 日本語を教える の(⇔こと)はむずかしいです。

 行く こと(×の)を命じます。

 具体的で五感でとらえられる対象は「の」、抽象的で観念的になればなるほど「こと」となるのですが、簡単に言えば、現象や行為は「の」、意味や内容は「こと」と使い分けます。例えば、下の例は意味が変わってきます。

 母に話す のを  忘れました  <話す行為そのもの>

 母に話す ことを 忘れました  <話す内容>

 下に参考までに表を載せましたが、みなさんは、×印以外のケースは、何を使ってもいいと覚えておきましょう。日常会話では自分の経験や具体的なことを話し合うことが多いので、「の」が多くなります。 

 

たら」の世界

 「〜たら」は「〜と」のちょうど逆になる世界で、個別的・偶発的に成立することや、意志・希望のような恣意的な世界を表します。ですから、文末で人間の意志や感情に関係する文末表現(助動詞)を使うときは「〜たら」と覚えればいいでしょう。これ以外の「たらいいですか」(提案や意見を求める)、「たらどうですか」(提案や意見を述べる)は、慣用文型ですから、そのまま覚えてください。

  (もし)ボーナスが出たら   パソコンを買います      (未来)

                 パソコンを買ってください   (依頼)

                 パソコンを買いましょう    (意志)

                 パソコンを買いたいです。   (希望)

                 パソコンを買った方がいいです。(提案)

                 パソコンを買うだろう。    (推量) 

 

「たとえ〜ても」と「いくら〜ても」の違い     

 「〜ても」は広く条件の逆説を表します。仮定条件のときは「もしたら」「たとえても」と使えますが、既定条件のときは「もしたら」「たとえても」は使えません。

 既定条件の逆説には「いくら〜ても」を使います。なお、「いくらても」は「いくら謝っても、許しません/いくら苦しくても、がんばります」のように、仮定条件に使われることもありますが、その場合でも回数や程度を問題にしていて、どうなるか不明の仮想(想像)とは異なります。

  <仮定条件>                       

 (もし)雨が降ったら、行きません  ⇔ (たとえ)雨が降っても、行きます

 (もし)安かったら、買います    ⇔ (たとえ)安くても、買いません

  <既定条件>

 辞書を引いたら、わかりました ⇔(いくら)辞書を引いても、わかりませんでした

 薬を飲んだら、直りました   ⇔(いくら)薬を飲んでも、直りませんでした  

 

お礼の「ありがとうございます」と「どうもすみません」

 「ありがとうございます」はお礼の言葉ですが、謝るときにも使われる「どうもすみません」はお礼の言葉としても使われます。これは、「あなたに色々ご迷惑やご負担をかけてどうもすみませんでした」という気持ちが強いときに使われるお礼の言葉になります。

「誰ですか」と 「どなたですか」と「どちら様でしょうか」  

 どれも意味は同じなのですが、「誰ですか」は丁寧ではない言い方で、目上の人には使いません。いつでも使える一番普通の表現が「どなたですか」で、そのもっと丁寧な表現が「どちら様でしょうか」となります。

 また、会話例「ごめんください」では、「お預かりしています(←預かっています)」(謙譲語)や「お待ちください(←待ってください)」(尊敬語)が使われていますが、このような会話場面での常套句です。例えば会話例「ごめんください」で、李君が「待ってください」と言うと、文法的には正しくても相手に失礼になりますので、場面といっしょに常套句はそのまま覚えてしまうのが会話上達の早道です。 

 

終助詞の「ね」

 この終助詞「ね」は共感や同意の気持ちを表していて、相手に柔らかく話しかけたり、私もあなたと同じように思っていますと言うことを伝えるときに使います。

Aさん:今日の テストは 難しいですね。

李  :ええ、そうですね。

李  :今日は 寒いですね。

Aさん:ええ、ほんとうですね。 

 

終助詞の「よ」

 会話例に「よ」がでてきますが、この終助詞「よ」は自分の考えや相手がまだ知らないことを伝える時に使われる語で、「終助詞「ね」とちょうど逆の関係があります。例えば下の例文ように、相手が知らない事実を伝えるのが「よ」で、「ね」はどちらもよく知っていることを話題にしている会話で現れます。

 「東京は物価が高いですよ」「えっ?そうですか(知りませんでした)」

 「東京は物価が高いですね」「ええ、そうですね(全く同感です)」 

 

「〜をください」と「〜をお願いします」

 どちらも意味は同じなのですが、「〜をください」は日本語では依頼というより、指示に近い表現なので、「〜をお願いします」のほうが丁寧な言い方になります。

 コーヒーを ください。                                        

 コーヒーを お願いします。

 

敬語の基本方針

 1.くどい敬意表現はやめよう。誤解を生む表現はよりよい表現にしていこう。

 2.言葉も人も変わります。刻々と変化する価値観には、柔軟に対応しよう。

 3.お互いの人格が尊重できる、ごく自然な表現をしよう。

 4.できるかぎり簡潔になることを心がけて、相手に対して明確に伝わる表現をしよう。

 5.文法的な正誤ではなく、「気持ちが正しく伝わるかどうか」を考えよう。  

●敬意表現を使う、ということは「相手の人格や立場を尊重する」ということです。敬意表現を使いこなす人は、話の内容とともに、人間関係をしっかり意識している人、なのです。

 もっと単純に言ってしまうならば、「私はあなた(あの人)にとってこういう立場の人なんですよ。」という宣言をしているということです。就職活動、仕事上、日本の言語の研究、教育指導、いろいろな場面で「敬意表現のよりよい使い方」が求められています。「その場の人間関係を理解し、相手の立場を尊重して、そのことを相手に正しく伝えること」が求められています。

 お互いを感情のある人間としてしっかり認めると、ごく自然に「敬意」がわいてきます。敬意はもちろん、誠意や好意を伝えようとしたときに、両者の間で表現の基準がズレていたら「いやみ」にとられたり「バカにされた」「なまいきだ」という誤解が生まれてしまうこともあります。  

 

●なぜ「敬語はむずかしい」のでしょうか。

 感謝。敬意。その気持ちを伝える言葉が敬語です。その気持ちはだれでも自然にわいてくることですから、気持ちがわいてきたときに敬語を使えばいい、使い方としてはそれだけのことです。

 人間関係はとても複雑です。特に日本では、昔から「礼儀作法はその人の人格をあらわす」ものとして重視されてきました。ですから、敬語はもともと厳密な使い方をされてきたので、日本語の中でも特にむずかしい部分だといわれます。しかし逆に考えると、細やかな気持ちを表現できるので、日本語のよいところだ、ともいえます。むずかしいと思わせる原因は大きく2つあります。

 1.「それぞれの立場に対する気遣いを態度ではなく言葉で表現しようとしている」

 2.「正しいか間違っているかにこだわる」

からです。なんとなく使って許されるならいいのですが、敬語に関してはかなり厳しく言われることがある。1.はそんなことまでして相手に配慮しようとする日本人の細やかな心遣いの見事さ(いいときも悪いときもありますが)の典型でしょう。2.は接客をはじめ対人関係に影響するものなので、みんながとても気をつかっているのです。

 敬語を使うということは、単に言葉の問題だけではなく、生活上の礼儀や作法も一緒に考えなければならないので、とても堅苦しく感じてしまいがちです。苦手意識のある人は、尊敬語謙譲語・・・など、学問的な定義づけの言葉だけで拒否反応がでますよね。文法的に説明するにはとても便利な用語ですが、もっと感覚的に「相手語」「自分語」などと定義したほうがわかりやすいかも知れません。(じゃり説として普及させてみようかな?) 

 

●敬意が伝わればそれで十分、かた苦しくこだわるのはめんどうだ、と考える人が増えてきました。

 ただ、「敬語は全く無くてもいい!」という人は少ないようです。たとえ「敬語不要論派」の人でも、敬意表現を使わずに会話することはありえないでしょう。「です」「ます」「お客さん」や関西弁の「おおきに」なども敬語にあたるのですから。他人に対する丁寧な表現は社会生活上必要です。初対面の人にいきなり「おまえは、・・」と話しかけられると、誰でも気分が悪いものです。昔は「御前」というのは高貴な人あてに使う敬語でしたが、今の「おまえ」という語には、見下しの意味あいが含まれるようになったからです。

 使い方が正しいとか間違っているということが重要なのではなく、あくまでも使う社会の共通認識=感覚の問題なのです。 

 

●日本の社会の構造が、上下関係中心から、横並び主体に変化してきました。今までの敬語の使い方では、よりよい会話はできなくなりました。

 古くから使われてきた「伝統的な敬語」は、身分をもとにした上下関係が前提でした。昔ながらの使い方だけにこだわることによって「尊敬語を使うことによって差別的な社会を温存させているのではないか」と心配する人もいます。これからの敬意表現は「上下関係に重点をおいて」使われるものから、「お互いの人格を尊重する気持ちで」使われるように変わらねばなりません。特に社会人としての対話は、お互いに対等でありながら、共に敬意を含むべきでしょう。

 過去のように上下が意識された頃と、現在では状況が違うのです。敬語は「お互いの立場を表明する」ものであって、「上下関係を表すものだという認識は捨ててしまった方がよい」でしょう。

 

 ●どのような敬意表現を使うべきなのかなど、言葉に関心を持つことは、物事を見る目を養ったり気遣いを考えることになるので、結局は自らの人生を豊かにすることにつながると思います。

  「きちんと敬語を使いこなしたい」「いや、敬語は必要と思わない」などは、「どうしてそう思うのか?」という議論になると、最後には「人としての生き方、あり方」の問題にいきつきます。

 「黄色」という言葉しか知らない人と、「レモン色」「やまぶき色」「クリーム色」「パステルイエロー」、さらに「おうど色」「もえぎ色」「オレンジ色」「みかん色」・・・を知っている人では、表現力も物の見え方も違います。食事の時「レタス」「キャベツ」「はくさい」の違いがわかる人とわからない人では、味も食事の楽しみ方も違いますよね。結局、物事は「言葉」を所有することによって認識できる部分が大きいのです。

 敬意表現を使うことは、「相手に対する気遣い」もありますが、

「自分の側の豊かさ」が大きく違ってくる

ということを、しっかり認識すべきです。敬語を中心とした敬意表現が果たす役割をしっかりと理解したうえで、いろいろなことを前向きに議論すればいい、と思います。

 ま、そんなこんなで、みなさんと一緒に表現についていろいろ悩んでみましょうか、というサイトであります。

 

接頭語「お」と「ご」のつけかたのポイント3つ!  

■ポイント1■                                          

 「お」「ご」は、相手のことにも自分のことにも使います!

 よく、「自分の行為なのに”お”や”ご”をつけるのはおかしいのでは?」と混乱してしまいがちですが、自分が所有している「物」に、”お”や”ご”をつけるのはおかしいですが、相手に何かをするにあたって、丁寧で謙虚な気持ちをこめて”お手伝いをする”や”ご挨拶をする”と表現するのはおかしくありません。その区別は、次の項で説明しています。

 自分につかう例  

●荷物をお持ちします。

●ご案内いたします。

●お慶び申し上げます。

●ご準備できます。

            

■ポイント2■

 「お」は和語(訓読み)、相手の所有物、女性が深く関わる語につける。     

   有田さんがお話をされる。(和語)

   平井さんのお宅。(相手の所有)

   お米。お箸。お鍋。お金。(女性語)              

 

■ポイント3■

 「ご」は漢語(音読み)につける。

   池永さん、ご確認ください。

 

「~なさる」は尊敬表現、「~する」は謙譲表現  

この使い分けができれば、もう基本はできたも同然です!   

发送图片到手机田中さん(自身)が  お 話 なさる。 ・・尊敬表現 

  

发送图片到手机(誰かが)田中さんに お 話(し)する。 ・・謙譲表現 

    尊敬は 「お(ご)+名詞+なさる」

    謙譲は 「お(ご)+動詞」       とおおまかに考えてよいでしょう。

 結局、尊敬も謙譲も、どちらも田中さんに敬意を表しているということがわかれば、敬語の本質を獲得したようなものです。 

 

敬語は文の最後につければ十分!  

ひとつの行為の最後につければ、敬意は十分表現できます。

「おじいさんは、ご自分でお考えになった作品にご納得なさらず、

ご自分をお責めになり、涙をお流しになっていらっしゃいました。」

 これは、文法的に誤りはないのですが、やはり、クドい表現です。

「おじいさんは、自分で考えた作品に納得せず、自身を責め、涙を流していらっしゃった。 

 

シンプルな表現が上品感を出す  

 「ご心配になる」より、「心配なさる」の方が、より上品な敬意が感じられます。上の「おじいさん」の例でもわかるように、敬意の多用は、しつこく感じられて逆効果です。日本語の本質として、多弁よりも慎ましい表現がより丁寧に感じられるし、的確に敬意を伝えられます。 

 

現在形より過去形の方が丁寧

 

 物をいただいたときは「ありがとうございます」より「ありがとうございました」、退出するときは「失礼します」より「失礼しました」の方が丁寧に感じることが多いようです。語尾が柔らかくなることと、過去形にすることで距離が遠くなる=相手から一歩下がる=謙虚さを強く感じるようになるから、です。しかし、その分表現がぼやけるのも確かです。明確に気持ちをあらわしたいなら、現在形の方がいいと思います。  

 

敬語を使わない敬意表現とは?   

「発言の中で、わからないところがあったのですが」

  相手の説明不足を責めないで、

  自分の理解する力が不足であるという謙虚な態度を表現している敬意表現。  

「悪いけど、急な仕事がはいったので待ち合わせの時間ずらしてくれない?」

 「悪いけど」と前置きをしたり、変更の理由をはっきりと説明するなど、 

 

 相手の心理的負担を減らす思いやりがある敬意表現。  

 「上の例文からは敬意を感じられない」という人も、たくさんいます。

 話し方が丁寧か乱暴か、によっても印象は違うでしょう。

  ただ、相手に対して何らかの気遣いをしているのは、あきらかです。

  わかりやすく言えば、とても好意的である、と言えるでしょう。

  敬意表現というよりも「好意表現」といった方がよいかとも思います。

  確かに、上下関係を基本にしてしまうと、敬意を感じない人も多いでしょうが、

  社会的立場が対等な者の会話、と思えば、十分に配慮を感じる表現です。

  いろいろ議論がありそうなので、詳しくは、別項で考えることにしましょう。 

 とにかく、相手の人格、立場を尊重する気遣いが含まれている表現のことを広く「敬意表現」と呼びます。  

 

方言による違い

  関西地方を中心に「おる」は単なる丁寧なことばとして使われてきました。

 「あの方がおられる場所・・」は、丁寧な言葉+尊敬語なので、正しい尊敬表現。

 

  標準語で「おる」は謙譲語です。

 「あの方がおられる場所・・」は 謙譲語+尊敬語となり、ひとつの行為に謙譲と尊敬を一度に含めるという矛盾になるので間違いの表現。 

 

標準語を基準にして正誤を考えるのか。

  方言をとらえて、許容範囲を広くとるのか。

  このような問題の論議には、専門的な語句の生成論が必要ですが、基本的には、みなさんの地方の「方言」優先でいいと思います。

  身の周りで多用されている表現は、意味が明確なら「可」とすべきでしょう。  

 

「おられる」  西川さんはおられますか? 

○ 慣用として認めてよい表現だと思います。 

「おられる」は尊敬の気持ちをこめた表現として、広く使われている表現です。「おる」はもともと「居る」で、じっと座っているという意味です。こちらが卑下するという意味をもつので謙譲語として用いて、相手の動作には使わないのが原則でした。その謙譲語「おる」に「られる」という尊敬語をつけた「おられる」は、 

    1.「おる」の部分が謙譲語なので相手の動作に使えない

    2.「おられる」は、謙譲語と尊敬語を重ねて使っている 

という2点で誤用だとする専門書が多く存在しています。ところが、関西地方では昔から「西川さんがいる」を「西川さんがおる」と丁寧な表現として使っているので、目上の人に「おられる」という表現を使っても違和感がなく、公的に使える尊敬表現として広く使われてきました。謙譲語ではない「おる」に「られる」という尊敬語をつけると考えるのならば、文法上の問題はなくなります。 

  「いる」の尊敬語は「いらっしゃる」「おいでになる」なので、標準的な尊敬表現は「西川さんはいらっしゃいますか?」「西川さんはおいでですか?」となります。「いらっしゃる」「おいでになる」がちょっと丁寧すぎる、と感じるときには「西川さんはおられますか?」と使ってもよいと思います。 「打ち消しのほうが丁寧になる原則」を使って「西川さんはおられませんか?」とすると、さらに丁寧になります。  

 

「おる」  (私の)息子の雅彦はおりますか?

◎ 正しい。自分の身内に謙譲語「おる」をつかっています。

自分の身内のことをたずねている例です。相手よりも自分に近い存在である「息子」に対して謙譲語「おる」を使っているので、正しい表現です。「息子」「愚息」「せがれ」「長男」「子ども」は、自分側の身内を呼ぶ言葉です。相手の子どもは「お子様」とよぶのが一般的です。  

 

「おる」  「うちには犬が3匹おります。

◎ 正しい。自分に謙譲語「おる」をつかっています。

この文の基本形は「うちには→おります」です。「うち」というのは本来は「家宅」のことですが、家に住んでいる家族や自分のことを広く指すこともあるので、この場合は自分に謙譲語「おる」を使っていることになります。「うちには犬が3匹います。」と表現してもよいと思います、「おります」の方がやわらかい表現なので、相手は丁寧さをより強く感じると思います。「うち」のことを謙遜する表現として「拙宅」「小宅」「当家」等の表現があります。  

 

「おる」  中川さんのお宅に、犬はおりますか?

△ 主語が「犬」になっています。犬に敬語=謙譲語を使うかどうか?

日本語の場合、「主語に”は”をつける」ことが基本です。この文例では、「犬は・・」つまり犬が主語となっています。つまり、「犬」に謙譲語を使って下げることで、「中川さん」に敬意を表している形になりますね。形の上では間違いとは言えませんが、ひとつ問題になることがあります。それは「敬語は古くから人間や神格化されたものだけに使い、事物や動物には使わない」という原則があることです。犬に敬語を使っていることが問題になってしまいます。

今までは、動物や赤ちゃんに敬語を使うのは間違いであると言われてきました。確かに、犬の行動に「~なさる」などの尊敬語を使うのは行き過ぎでしょうが、「ペットを家族同様にとても大切に思っている気持ち」からでてくる丁寧語や謙譲語であれば、よいのではないかという気もします。実際に、上の文例を「失礼だ」と感じる人はほとんどいないと思います。「うちのワンちゃんってと~っても利口でございますのよ!」・・のように何かしらの嫌みが感じられる表現はよくないと思いますが、それは言葉の使い方というよりも、話している人の人格の問題だと思います。 

 

「いらっしゃる」  中川さんのお宅に、犬はいらっしゃいますか?

▲ 主語が「犬」になっています。犬に尊敬語は使えません。

 話している人はきっと「中川さん」に尊敬語を使っているつもりです。これは、No004と同様に「助詞”は”を使うことで犬が主語になってしまう」ので、犬に尊敬語を使う形になっているのがおかしいのです。正確には「中川さんは、犬を飼っていらっしゃいますか?」です。これで、主語が中川さんになります。相手との間柄が堅苦しい関係でなければ「お宅には犬が何匹いるのですか?」というあっさりした表現でも失礼にはあたらないでしょう。

 余談になりますが、ペットに愛情を注いでいる方にとっては「犬」という表現はきついと感じることもあるようです。「ワンちゃんの方が丁寧ですよ」とペットショップの方より助言をいただきました。

  

「いらっしゃる」  <来客に> 米田課長はまだいらっしゃってないんですが。

× 客の前で身内に尊敬語「課長」「いらっしゃる」を使っています。

姓の下に課長などをつけると敬称になりますので、社外の人に「米田課長」というのは身内に対する敬語になり、失礼にあたるとされています。「いらっしゃる」も同様で、身内に対する敬語となります。相手に対しても「~ですが」という丁寧表現だけで敬語が使えていないことになります。 さらに、この投げかけだと、「待つか?出直すか?どうしたらいいのか判断できない」という状況になり、相手は困ってしまいます。

「(課長の)米田は遅れております。大変申し訳ありません。○○頃来ると聞いておりますので、もうしばらくお待ちいただけますでしょうか。」という丁寧な対応が求められます。丁寧な対応ができたら、物事がプラスに転じることもあります。後から「きちんとした印象のいい社員さんですね」とお客さまにほめられると、課長も「遅れて良かったよ!」なんてことに・・・なるかも知れません。 

 

「いらっしゃる」  お住まいは京都でいらっしゃいますか。

× 住まい=人ではない物に尊敬語「いらっしゃる」を使っています。

 日本語は、「~は」が主語=話の主題になりますので、この場合は「お住まい」に「いらっしゃる」という「尊敬語」を使っているという構造になり、不適切な表現だといえるでしょう。原則としては「お住まいは京都ですか。」という表現で失礼にはあたらないということです。丁寧に表現したいなら「お住まいは京都でございますか。」となるでしょう。「住まい」についている「お」は、「あなたの~」という意味ですので敬語の使い方として問題ありません。

 この場合「住まい」を主語に立てているので本来なら尊敬表現が使えません。でも、相手に対して敬意を表現したい場合は上の文のように表現しなければならなくなり、なんとなく不自然になってしまいます。

 改善のポイントは2つあります。ようするに相手に対して直接敬意を表現できればよいのですから、 

 ■1.主語を人間にする

 ■2.「住む」という人間の動作を述語にして表現する

ということです。具体的には「(あなたは)京都にお住まいですか。」ならばきちんと敬意を表現できます。文末を「~でしょうか。」「~でございますか、。」としてもよいでしょう。 

 

「いらして」  お客さまがいらしてます。  

× 「いらして」は一般的に「いらっしゃって」の意味では使わない。

 古い用例を繙くと、

 「いろいろお世話になりました。どうぞいらしてください。」(出発してください)

 「さあ、いらしたことだし、旅立ちましょう。」(太陽がのぼったことだし)

 「ささ、ここにいらしてください」(お部屋に入ってください)

などがあり、意味は上の3つにほぼ限られています。どれも敬意が表現されている場面ですが、尊敬語というよりもどちらかといえば丁寧語のようなニュアンスがあります。問題の「いらしてます」という表現は私も何度か聞いたことのある表現で、確かに丁寧なニュアンスが感じられます。ただ伝統的には「来る」「いる」ということばに対する「尊敬語」としては使われてこなかったようですね。

 もちろん、今までは使われてこなかったということであって、将来的にこの用法が否定されるわけではありませんが、現時点では「おかしな表現だな」と感じる人が多いのではないでしょうか。違和感なく使う場面としては

 ●(相手に直接)「どうぞこちらにいらしてください」と宿泊する部屋を案内する。

 ●(夜通し遊んでいて明け方になって)「もう、おてんとさまがいらした」と語る。

 ●(相手が出発するときに)「どうぞお気をつけていらしてくださいね」と見送る。

 ●(自分の家=部屋に来ていただけるように)「またいらしてくださいね」と声をかける。

などが考えられます。2つめの太陽の例は別として、そこにいない第3者ではなく、「直接目の前の相手に呼びかけることば」として扱えば違和感がないでしょう。  

 

「ご苦労様」  課長、今日はご苦労様でした。

△ 不快に感じる人がいます。「ご苦労」は、ねぎらいの意味が強い言葉です。

 「ごくろうさま」は、「よくやったね」とほめる気持ちやねぎらう気持ちをこめて使います。ほめる、ねぎらうは基本的に目上からの動作ですので、年下からの言動の場合、不快に感じる人も多いようです。

 私は、高速道路の料金所で通行料金支払いの時に「ごくろうさま!!」と声をかけたことがあります。自分ではいい挨拶をしたつもりだったのに、横に乗っていた叔母から「あんた、えらそうやな~」と言われて驚いたことがあります。人によっては「上から下へ」というニュアンスを強く感じる言葉のようです。みなさまからの意見をまとめてみると、「”ごくろうさま”は確かに目上の人からかける言葉だが、最近はだんだんその意識が薄れてきている」ということのようです。いくら薄れてきているとはいえ、年下から「ごくろうさん!」とは絶対に使えませんよね。一般的には「ごくろうさまでした。」と丁寧語をつけて使います。

 ただ、年下のものから言われると違和感がある人がいる以上、ベストの表現だとはいえないのかも知れません。それに変わる言葉としては「お疲れさま」があげられるわけですが、これもしっくりこない。では、さらに別の表現となると・・・「いい言葉がみつからない!?」のが現状のようです。

 私@じゃりの提案は、「癒しのお決まり挨拶」ではなく、「積極的な言葉」で気持ちを表現する方法です。「お帰りなさい」「今日はいかがでしたか?」「では、○○の件どうぞよろしくお願いいたします」などのように、場にあわせた「まとめのひとこと」でうまく相手への気遣いができればとてもよいと思います。こうなると、単なる形式的な挨拶を超えた「会話」に近いものとなりますので、個性的な挨拶ができるようになります。

 しかし一方で、その人の言葉のセンスも真心も問われるようになり表現が難しくなりますし、日々繰り返される日常の挨拶には不向きです。敬語を指導する立場になったらやはりひとつの模範を示さなければなりませんから「臨機応変に話しましょう」では無責任になってしまいますので・・  

 

 「がんばる」  先輩もがんばってくださいね。

▲ 場面によっては不快に感じる人が多いようです。

「がんばって!」という言葉を使う状況を考えてみると、声をかけられる人はなんらかの「苦しい立場」に追い込まれていることが多い。それをぜひ乗り越えて!という気持ちが大いに含まれている言葉です。運動会の親子競技で「おとうさん、おかあさん!がんばって~!」と叫んだり、病院で「おじいちゃん、がんばって元気になってね。」などと使うのは、応援の意味です。これを不快に感じる人はいないと思います。

問題になるのは、「私も全力でがんばりますので、部長もがんばってください。」「私はいい夏休みになりました。先生もがんばっていい夏にしてください。」という類の表現です。これらは応援ではなく対等な立場からの励ましになります。どこかに「無責任さ」や「あわれむ」ニュアンスが含まれているのかも知れません。年下から言われると「別にあなたに励まされなくてもちゃんとやってるよ!」という反発心がでることもあります。もちろん使っている本人は対等な立場を意識しているわけでもないし、他人行儀で励まそうとしているわけではありません。

「部長もがんばってください。(・・期待しています)。」という「期待している」というニュアンスが感じられてしまうのがこの言葉の不快の原因ではないでしょうか。小さな子どもから「おじちゃん、がんばれ~!」と言われた時に、心からうれしい時となんとも情けなくなる時がありますものね(苦笑)。

もちろん、「がんばってください」は人によって感じ方も違いますし、使っている人は全く悪意がないのですが、「なんか軽視されているようで気分が悪いなあ」と感じる人がいる以上、気遣う相手には使わないのがよいかもしれません。この表現の問題点は「年下なのに対等な立場で励ましているように感じる」ということだと思いますので、「部長も」「先生も」という「も」を使っているのがいけないということにもなると思います。

「がんばってください」のかわりの表現はありませんかという質問がよくありますが、「がんばれ」は他の言葉に置き換えても「がんばれ」の意味ですからかえようがありません。「どうしても”がんばってください”という表現でないとだめ!」という場面はほとんどないと思います。目上の人にわざわざ「がんばって」と呼びかけなくても「私もがんばります。これからもどうぞよろしくお願いいたします。」と言えば気持ちは伝わりますし、相手のことで終わるよりも自分のことで括るほうがよりよい表現と言えるのではないでしょうか。  

 

「方(かた)」  (お客さまに)うちの上司は、厳しい方(かた)なんですよ。

▲ 自分の側の人に、尊敬語を使っています

人間に使う「~という方(かた)」は尊敬表現ですので、自分側の人間には使わないのが原則です。しかし、身内であれ立場が上の人には敬語を使いたくなるのは当然で、現実にはかなり使われている表現ではないかと思います。

他人に話すときは、身内を高めるような表現はしない、というのが今の日本語の「相対敬語」です。 と断言したいところですが、親しみを感じる相手と話す場合には、身内に尊敬語を使うことはむしろ自然な気もします。「うちの上司は厳しい人なんですよ」と言っておけば、全く問題はないのですが。  

 

「部長」 <社外の人が>中川部長さんはいらっしゃいますか? 

○ 他社の場合、部長という敬称に「さん」や「さま」をつけても過剰だとは言えません。

昭和27年に国語審議会がまとめた『これからの敬語』では

 <二 敬称 (五)>職場用語として、たとえば、先生・局長・課長・社長・専務などに「さん」をつけて呼ぶには及ばない(男女を通じて) 

とあります。つまり、先生局長・・などはそれ自体が「敬称だ」と認識しているということです。これに従うとすると、他社の人に対しても「中川部長は・・」で十分だということになりますが、現在の実用では、他社の人に対しては「社長様」「課長さん」としている例が多く、またそれはクドさを感じるものではないので、確かに二重敬語かも知れないが、慣習として何ら問題はないと考えるべきでしょう。「お客さま」も”お”と”さま”が重なっていますが、誰も過剰だとは思わないでしょう。

対外的に社内の人間をいう場合には、役職に「さん」や「さま」をつけることはなく、「中川部長」や「部長の中川は」と表現するのが一般的です。  

 

「ご」  これをもって、私のご挨拶とさせていただきます。

○ 正しい表現です。聞き手に敬意を表しています。

結婚式や式典来賓挨拶のお決まり文句です。自分の挨拶に対して「ご挨拶」と敬語を使っていいのだろうか?と考えてしまいます。しかし、この場合の挨拶はふつうの動詞とはちょっと違います。ちょっと考えてみましょう。

  たとえば、「手紙」は差出人のものでしょうか?受取人のものでしょうか?書きあげたのは差出人ですが所有しているのは受取人。では、二人のもの?厳密にはいろいろな議論がありますが、最終的に手元にある受取人のもの、と考えるのが一般的でしょうか。

  「挨拶」という言葉もこの例と同じように考えることができるのです。つまり、公的な場の発言はみなさんに捧げられたもので、「挨拶はすでに受取人(聞く人)のもの」という解釈が成り立つわけです。そういった点で挨拶の場合は、自分が話しているのですがもう相手に捧げられるものとして気遣いをして、「ご挨拶」としても間違いではありません。もちろん「ご」を使わない「私の挨拶とさせていただきます。」も、おかしくはないでしょう。

  つまり、挨拶については、「ご」はあってもなくても正しい表現だといえます。

これは昔からそういう解釈をしているのです。例えば、かぐや姫で有名な「竹取物語」では、帝にお渡しする手紙は「御文」、帝から下の者への手紙は単に「文」と表現しています。逆に考えてしまいがちなので、ご注意を。 

 

「ご」   近々、夫のご両親が来られるのですが。

△ 夫や義理の両親は身内扱いがよいでしょう。

義理の親だから少々丁寧に、と考える気遣いからうまれた「ご」ですが、他人に対しては身内扱いになるべき存在でしょう。すっきりと「夫の両親が来るのですが」と表現すればいいと思います。  

 

「お」  明日はお休みしたいのですが。

× 自分だけに関わる行為には敬意表現は使いません。

「お」は相手の言動や所有物につけて敬意を表す接頭辞です。「松田さんはお休みに何をしていらっしゃるのですか。」などのように相手の行為に「お」をつけるのが基本です。また、「お電話いたします。」の「電話」などのように、自分の行為が結果的に相手にまで及ぶ場合にも「お」や「ご」をつけて、謙譲表現として敬意を表すことがあります。この例の「休む」は、完全に自分の行為ですから、こういう使い方をしないのが一般的です。「明日は休ませていただきたいのですが。」が正しい表現です。   

 

「お」  (私の)お車でお迎えにあがります。

× 自分の所有物には接頭辞「お」をつけない。

接頭辞「お」「ご」は、『敬語の基礎知識』のページでも触れているとおり、基本的には相手の所有物につけますが、その場合も基本的に双方の言動に深く関わる事象に限られます。(あなたの)「お名前」、(あなたの)「お宅」、(あなたの)「お手紙」などです。 この例の場合、車の所有は自分、もしくは第三者ですので「お」をつけずに「車で迎えにあがります。」と表現するのが正しくすっきりします。もし車が相手のものなら、「お車」と表現してよいと思います。

こちら側の動作が、相手に直接的に及ぶ場合には、たとえ自分の行為であっても「お」をつけて敬意を表してもよいでしょう。例えば「ご挨拶」や、「お手紙をさしあげる」「お電話いたします」などがそうです。   

 

「お」  お本をお預かりしてよろしいですか。

× 基本的に漢語に「お」は使わない。

 大原則として人間以外には敬語を使いません。また、接頭辞「お」は基本的に和語につくものです。「おからだ」「お考え」などです。例えば「お出発」「お好意」などように漢語には使いません。ただ、『敬語の基礎知識』のページにもあるように、「お弁当」「お勉強」など家事教育育児サービスに関する場合には例外的に使うこともありますが、ほとんどの場合「母親がよく使う言葉」=「女性語」の要素が強いようです。「本」はどこにでもある一般的なものですし特にこちらが気をつかわなければならないような高価なものでもありません。今までの習慣としても使われることが少なかったでしょうし不自然さを感じます。「お預かり~」の部分で敬意を十分表現できているという点からも「お本」の「お」は不要でしょう。ただ、おとなが子どもとのやりとりで使う「幼児語」としての「お本」「ご本」などの表現は多少の不自然さがあっても許容されるべきで「正誤」の対象にはならないと考えます。

 一般的な敬語の使い方としては、相手にとって大切なものであっても安価なものには「お」や「ご」などの接頭語はつけないようです。もちろんつけてはならないというわけではなく、明らかに高価で貴重な本であったり特別に思い入れや思い出のある本などに、愛着などを込めて接頭語をつけたいときには、「本」は漢語なので「お本」ではなく「ご本」という表現が良いでしょう。

 

「お」 うちのタマは、とてもお行儀がよくていい子です。  

△ 過剰表現だが間違いとは言えない。ペットに敬語を使ってはいけない?

学問的には、このようにペットに対して敬意表現を使うのは「過剰表現だ」ということになっています。「本来、対人関係で使われるべき敬語が物やペットに使われるのはおかしい」という原則が理由です。わざとおもしろ半分で使う場合もありますが、自分のペットの自慢話を、度が過ぎた丁寧さで語っているのを聞くと、確かに不愉快になることもあります。ましてや犬猫嫌いの人は、ペットの話題自体に興味がなく、苦痛を感じるかもしれません。

  しかし、ペットを家族同様に飼っている人が、親しみの気持ちを含めて敬意表現を使ったとしたら、それを否定することはできないと思います。用法はあくまでも原則論です。時、場合、背景、関係によって変わってくるのが言葉の難しさであり、センスの問題です。柔らかい表現を心がけると自然に出てくる表現なのかもしれません。結局、相手に不快感を与えるかどうかは、敬語の用法が正しいかどうかよりも、話し手の人格や態度に大きく左右されるのです。  

 

「お」  足もとのゴミをお取りしてよろしいでしょうか?      

△ 形は間違いではないが、敬意を表している対象がわかりにくい

「お取りする」の「お~する」は、自分があることをさせていただく、という意味で使われる正しい表現です。「お預かりする」「お届けする」「お持ちする」なども明らかに自分の行為ですが不自然ではありません。ですから、自分の行為に「お」を使っているのでおかしい、という論は成り立ちません。形の上では全く問題ありません。

  この例文で問題になる点は3つあります。

1) 行為の対象が「ゴミ」であるということです。「お届けする」と使うときには、その対象は「相手の物」であり大切に扱わなければならないものです。ところが、ほこりやちりなどのゴミは、その出所は誰であろうが、一般的に相手の所有物でもなければ大切に扱うべきものでないでしょう。「お取りする」行為は自分であっても対象が「ゴミ」なので、敬語を使うには違和感が生まれるでしょう。

2) 「お~する」「よろしい」「でしょう」と敬意が3つ重なっていますので、ちょっとくどく感じるかもしれません。基本形は「足もとのゴミをとっていいか?」ですので、どれか2つにしぼるとかなりすっきりします。

2) ゴミをとるのが目的ですが、背景には「相手によけてもらう」「手をとめてもらう」などの無理をお願いしていることがあるわけです。はっきりと「掃除するのでちょっとよけてくださいね。」とでも言えたらよいのですが、遠慮がちに許可を求める態度を示さなければならない点で、この表現はすっきりしないのです。いちいち「今から約1分間、このほうきとチリトリで、足もとにあるゴミを・・」と説明しなければ納得しないという人はいないでしょうから、遠回しに「ちょっと失礼してよろしいですか」だけでも十分でしょう。  

 

「わかる」  ここのところ、おわかりになりますでしょうか?

× 誤りです。可能動詞では敬意がうまく伝わりません。

「お~になる」という尊敬表現のパターンを使えているので、形の上では問題がないように思うかもしれませんが、なんとなく見下されているような印象にもとれませんか?これは文の形の問題ではなく、使っている可能動詞に問題があるのです。「わかる」などの可能の意味をあらわす動詞は、相手を評価するニュアンスが含まれているので、敬意を必要とする相手には使わないのが望ましいでしょう。とたえば「できる」も可能動詞ですが「おできになりますでしょうか?」という表現はなんか不自然に感じませんか?相手の意見を求めるような問いかけの形で、「いかがでしょうか?」と表現するのがよいと思います。   

 

「おっしゃる」  さきほどもおっしゃられたように

△ 正しいが、少し過剰気味です。

  「言う」の尊敬語「おっしゃる」に加えて、尊敬の「~れる」をつけている二重敬語表現です。二重敬語はそれ自体は間違いではありません。ただ、昔は特別な人だけに二重敬語を使っていたという経緯もありますし、会話は簡潔明快に、という基準から言っても二重敬語は避けるのがよいでしょう。この場合は「おっしゃったように」とするのがよいと思いますし「言われたように」でも敬意は十分伝わると思います。  

  プレゼンテーションや会議の場などでは、自分の言葉遣いがとても気になります。単に自分を名のる挨拶だけでも気をつかうのに、何か発言する場合などは、その内容をうまくまとめることに精一杯で、言葉遣いまで気がまわらない。ただ、丁寧に失礼がないようにうまくしゃべらなければ、と気を使うあまりに、つい不自然な敬語を使ってしまうこともよくある話です。特に、目上の人の発言の後に突然指名されて意見を求められたりしたら、焦ってしどろもどろに・・

  会議中に、ある人が緊張からかうまく舌が回らず、「今、おっしゃらいましたように・・」という発言になってしまったことがあります。それが、私には「今、おっ皿洗いましたように・・」と聞こえてしまったのです。いわゆる「壺にハマる」というやつで、我慢しようとすればするほど笑いが止まらなくなってしまったことがあります。体が揺れて大変でした。ほんとに失礼なことをしてしまいました。

  「自分の使える敬語を使って、自然な敬意を伝える努力をする」ことが望ましいと思います。背伸びしたり、なんとなくの聴きまねで敬語を使ってしまうと不自然に感じられます。「です」「ます」「ございます」などの丁寧語をつければほとんどの場合失礼にはあたらないので、緊張する場では無理をしてまで使わないことが大切ですね。  

 

「申す」  今、山下課長が申された提案内容に賛成です。

 × 誤りです。「申す」は謙譲語なので相手の言動には使いません。        

  「申す」は謙譲語です。謙譲語に「れる」をつけて尊敬しているつもりの表現が多いようですが、「れる」という尊敬の意味を後ろにつけても、尊敬表現として扱わないのが原則です。ひとつの行為に謙譲語と尊敬語を同居させること自体、矛盾があります。「ただいまの、山下課長のご提案に賛成です。」という表現がすっきりしています。もっと丁寧に言いたいのなら「山下課長が言われた・・」「山下課長がおっしゃった・・」となります。

  こういう誤りをきちんとなくそうと思えば、何が尊敬語で、何が謙譲語かしっかりと区別しなければいけません。覚えるコツは「おっしゃる&申す」「ごらんになる&拝見する」というように、同じ意味の語句をセットで覚えて、意識して使ってみることです。   

 

「申す」  おかしなところがあればお申し出ください。              

○ 正しい。敬語の消滅です。

「申す」は謙譲語なので、相手の動作に使うことはおかしいのですが、申すの複合語(2つ以上の語がひとつになったもの)の中には、熟語として敬意が消滅したものがあります。たとえば、「申し込む」「申し出る」などです。名詞になった「申し込み」「申し出」なども敬意が含まれていません。これらは使用頻度も高く、敬語性が完全に失われている慣用語なので、相手の動作に使ったとしても問題ありません。  

  

「申す」  課長が社長に申されたように

○ 正しい。二人に敬意を表す場合の例です。

課長に謙譲語「申す」を使うのはおかしいことですが、その動作を受けている社長に敬意を示すために、課長の言動に「申す」という謙譲語を使っているので、間違いではありません。謙譲語だけだと「社長に申したように」となりますが、それでは社長だけに敬意を表して課長には敬意なしになるので尊敬の「れ」をつけて、二人に対して一度に敬意を示しています。このように、動作をする人、される人、両人ともに敬意を表す場合には、動作をする人に謙譲語を使うことがあります。   

  ★整理★

    話をしたのは課長なので、直接社長に敬意を示せない

      ↓

    仕方ないので、課長に謙譲語を使うことで、まず社長を尊敬する

      ↓

    課長にも尊敬語を使ってふたりともに敬意を表する   

     言っ・た → 申し(謙)・た → 申さ(謙)・れ(尊)・た   

 

「ございます」  有本さまでございますか?             

× 誤りです。「ございます」は丁寧語なので敬意は含まれていません。

  相手に敬意を表するならば、言葉の上では「尊敬語」か「謙譲語」を使うのが本筋。「有本さまでいらっしゃいますか?」というのが正しい使い方です。「ございます」の基本語は「ある」です。昔は「誰かある」などのように人間の存在に対しても使いましたが、今は人に対しては使いません。「いる」の尊敬語は「いらっしゃる」です。 「ございます」というのは丁寧語で、本来の使い方からいえば尊敬の念は全く入っていません。例えば車内放送の「次の停車駅は日本橋でございます」には、日本橋という駅に対する敬意は含まれていません。「ございます」を使わずに「有本さまでしょうか?」と丁寧に言えば十分でしょう。

  相手の名を尋ねるときに、もっとも丁寧な表現として使われてきたのが「失礼ですが?」。遠回しな表現の最たるものです。確かに「気遣いにうるさい人」を満足させる表現ですが、日常ではやはり避けるべきでしょう。最近では「失礼ですが?」と電話の応対で使うと、「え?」「なんですか?」と聞き返されることがあるようです。    

 

「まいる」  森本部長は何時頃まいられる予定ですか?

 × 「まいる」は謙譲語なので相手の言動には使いません。